1982年に民主社会党から連邦下院議員に当選し、1986年のアラゴアス州知事選では、ブラジル民主運動党の支持によりに当選。民主化後の1989年11月、ほぼ30年ぶりにの一般の投票による大統領選挙に出馬、職業政治家に対する痛烈な批判を展開して労働党の
ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァに対し、僅差ながらも過半数を獲得して勝利した。政策では、前政権の穏健的改革を残しながらも、自由化を目標にする経済開放政策を進めた。洗練されたファッション・センス、男らしさを自慢する挑発的な発言で毎日のように新聞のトップを飾ったが1992年の終わりには汚職疑惑で上院が弾劾裁判を行い、大統領職を永久に剥奪するかどうか決定する間、彼は180日間の職務停止を下院より命じられた。同年12月29日、上院が彼の汚職嫌疑の審議を開始した数分後、辞任したが上院は彼を告発することを可決した。投獄は免れたが8年間の再選停止処分を受けている。