1995年から
マスコミでオウム真理教の報道が過熱するようになると、教団の広報責任者として
青山吉伸や
村井秀夫らと共に、連日朝から晩まで
テレビや
ラジオに出演し、オウムに批判的なあらゆる意見に対して徹底的に反論していた。この時に見せたパフォーマンスから、「ああ言えばこう言う」を捩った
「ああ言えば上祐」という
流行語が生まれ、
上祐ギャルと呼ばれる熱狂的な追っかけの女性ファンも登場するなど、一躍話題の人となった。
都沢和子とともに早稲田大学英語研究会(ESS)で
教育ディベートの経験者であったことがマスメディアに報じられ、
ディベートが相手を言い負かす技術として注目を集めることとなった。しかし後に「オウム真理教は事件に関わりがあると薄々気づきながら、当時はマスコミに無関係だとウソをつき続けていた。自分はウソツキだった」と告白した。
麻原の側近と目される教団幹部であったが、一連の
オウム真理教事件では1992年以降はロシア支部長だったこともあり教団本部の共謀や実行の場にいなかったことや炭疽菌テロを目論んだ
亀戸異臭事件で被害が出なかったことなどで重要犯罪事件で起訴はされなかった。熊本県波野村の土地取得をめぐって
国土利用計画法で定められている届け出をしなかった
オウム真理教国土利用計画法等違反事件で逮捕起訴され、3年の懲役を受けた。
微罪適用による逮捕であるばかりか、懲役3年は
罰条(国土法第46条)が定める最高刑で、極めて異例な厳罰求刑と実刑判決であった。
厳罰化の先駆例とされる。