八紘一宇の説明として、日本の代表的な国語辞典では、「
第二次大戦中、日本の海外
侵略を正当化する
スローガンとして用いられた」
[大辞林(三省堂)]、としている
[「広辞苑」(岩波書店)、「大辞泉」(小学館)]。また、
世界大百科事典では、「自民族至上主義、優越主義を他民族抑圧・併合とそのための国家的・軍事的侵略にまで拡大して国民を動員・統合・正統化する思想・運動である超国家主義の典型」
[世界大百科事典(平凡社)の「超国家主義」]と説明されている。また、昭和32年9月、衆議院文教委員会で、松永文部大臣は、「戦前は八紘一宇といって、日本さえよければよい、よその国はどうなってもよい、よその国はつぶれた方がよいというくらいな考え方から出発していた」と説明、昭和58年1月衆議院本会議で、
中曽根康弘総理大臣は「戦争前は八紘一宇ということで、日本は日本独自の地位を占めようという独善性を持ち、日本だけが例外の国になり得ると思った、それが失敗のもとであった」と説明した
[国会会議録]。また
国柱会について「日蓮宗と国家主義をブレンドした超右翼思想宗教団体として発足、戦前戦中においては日本の満州・中国・東南アジア・オセアニア地域への侵略を支持したことで有名です。在家の仏教教団です。創始者の田中智学は『純正日蓮主義』を掲げ、法華経を国教とした日本が世界を征服し、世界を法華宗化するという遠大な目標をもっていました。 その一環として田中智学は『八紘一宇』という造語を創作し、これはのちに軍部のスローガンとして利用されました。 八紘一宇とは、全世界を天皇を頂点とした1つの国家に統一するという意味です。 日本の軍部は八紘一宇の第一歩として『大東亜共栄圏』を標榜し、近隣各国を侵略していきました。」「大東亜戦争で思想的に中心的役割を果たした。」という意見もある。(
[外部リンク]http://park8.wakwak.com/~kasa/Religion/kokuchukai.html)
Tanaka Memorialを歴史的真実として東京裁判冒頭から判決を導く裁判を進めていた検察側意見では「八紘一宇の伝統的文意は道徳であるが、…一九三〇年に先立つ十年の間…これに続く幾年もの間、軍事侵略の諸手段は、八紘一宇と皇道の名のもとに、くりかえしくりかえし唱道され、これら二つの理念は、遂には武力による世界支配の象徴となった」としたが
[アジア歴史資料センター(JACAR)リファレンスコードA08071307000 A級極東国際軍事裁判記録(和文)(NO.160)(105,106枚目画像)(E-86,E-87)]、清瀬弁護人は『秘録・東京裁判』のなかで「八紘一宇は日本の固有の
道徳であり、侵略思想ではない」との被告弁護側主張が判決で認定されたとしている
[(読売新聞・昭和42年3月10日)]。また、元高校教諭
上杉千年は、仲間内の講演会で「八紘一宇の精神があるから軍も外務省も
ユダヤ人を助けた」とする見解を示している
[[外部リンク] 上杉千年先生講演記録「猶太難民と八紘一宇」]。