三園ともに
江戸時代の
大名庭園であり、それゆえいずれも戦略的な性格をも有していたとされる。「日本三名園」もしくは「三名園」という言葉がいつ頃から使われ始めたのかは不明であるが、少なくとも、一般に開放された
明治以降と考えられる。文献上では明治37年(
1904年)に外国人向けに発行された写真集にこの言葉が使われているので、これ以前であることは間違いないといえよう。なおこの三園の選定理由として、いわゆる
雪月花の雪に兼六園、月に後楽園、花に偕楽園を対応させたものであろうとする説がある。