日本新党 wikipedia|無料辞書
|党名 = 日本新党
|公用語名 = Japan New Party(JNP)
日本新党本部(結成時)
|解散理由 = 新党移行のため
|後継政党 = 新進党
|郵便番号 = 100-0014 (解散時)
|機関紙 =
|シンボル =
|国際組織 =
|その他 =
-->
日本新党(にほんしんとう、略称:
日本新、
日新。
英:
Japan New Party、略称:
"JNP")は、
日本の
政党。
◆ 歴史
◇ 概要
・1992年5月、元熊本県知事
細川護煕は雑誌『文藝春秋』に「『自由社会連合』結党宣言」を発表し、新党結成に動いた。同月、党名を公募し、「日本新党」に決定した。同年6月、東京都高輪に党本部を設置した。同年5月から7月にかけて、参議院選挙比例区に公認候補17人を擁立した。同年7月26日、第16回参院選で約315万票 (7.73%) を獲得し、
ミニ政党としては過去最多の4議席を獲得した。日本新党は、政治改革の流れの中で
無党派層の支持を獲得し、
55年体制崩壊をもたらした「新党ブーム」のいわば火付け役となった。
・1993年1月、新潟県白根市長選では日本新党の単独推薦候補者が、自民・社会両党の推薦候補者を破って当選を果たし、地方でもその人気を高さを示した。同年6月、都議選では22人の公認候補者を擁立し、初めての本格的な地方選に挑んだ。その結果、20人の当選を果たし、推薦を含めて27人と都議会の第3勢力に躍り出た。
・1993年7月、第40回衆院選に際し、追加公認を含めて57人を擁立、35人の当選を果たした。衆議院選挙に際し、細川護煕・
小池百合子は参議院から衆議院に転出、当選を果たした。選挙後、
新党さきがけと衆院統一会派「さきがけ日本新党」を組み、52人の第5勢力となった。当時、新党さきがけと日本新党は合併を模索していた。同年8月、日本新党代表の細川護煕は7党8会派連立内閣首班となり、内閣総理大臣に就任した。
・1994年4月、細川護煕は内閣総理大臣を辞職する。それにともなって、新党さきがけは日本新党との統一会派を解消した。これは細川政権内の
小沢一郎と
武村正義の政治路線に関する対立によるものだった。その後、
前原誠司、
枝野幸男、
荒井聡、
小沢鋭仁ら親さきがけの日本新党議員は離党していくことになる。
・1994年10月、小選挙区制導入にともなう二大政党政治の実現に向けて、
羽田孜の率いる新生党などと合流するため、党大会において解党を決定した。同年12月、日本新党は解党した。細川護煕ら日本新党所属の議員の多くは新進党に参加した。
◇ 党史
・
7月 - 東京都議会選挙で20議席を獲得。初挑戦にして第3党に躍り出る。
・
2月4日 - 参院会派「
民社党・スポーツ・国民連合」と統一会派「
新緑風会」結成。
・4月15日 - さきがけが次期政権での閣外協力を表明。
・
9月28日 - 非自民勢力による衆院会派「
改革」を結成。
◆ 歴代の日本新党常任幹事会・執行部役員表