日本映画社の設立は
情報局の参与である
古野伊之助が「思想戦」において映画部門を統制させるために作らせたとする説がある。1909年、18歳の古野が京橋区瀧山町で通信社の給仕として働いていた時代、
泰明小学校の子供たちが仕事場で相撲を取ったりして遊んでいた。中でも
浅岡信夫というヤンチャ坊主は勉強中の古野の横で暴れていたため、事務所の金庫に閉じ込められた事もあったとされるが古野と同僚の
根岸寛一に可愛がられていた。後、参議院議員となる浅岡は
映画法制定の影の牽引役であり、根岸は日本ニュース社の社長となる。