1940年ごろ、
円谷英二が特撮カットの多い映画を製作する上で、1本の映画を2人の監督が演出するという方法をとったために生まれた役職である。スーパーバイザーとは異なり、作品の演出についてまで監督とほぼ対等の発言権がある。このシステムは、大量の特撮カットを効率的に撮影できるというメリットがある反面、監督と特撮監督が不仲になるなどの弊害もある。また、実質的な二人監督制ということで、東宝特撮の全盛期、黒澤明や岡本喜八など作家性に自負を抱く一流監督は絶対にこの種の企画を引き受けなかった。実相寺昭雄監督も若いころの円谷プロ時代はこの編成で演出に臨んだものの、国際映画祭受賞などで名声が高まったのちは、スーパーバイザー方式で全体を統括している。