この20世紀を通じて繰り広げられた社会改良主義者や修正主義者、社会民主主義者や民主社会主義者など穏健な社会主義者と、マルクス・レーニン主義者をはじめ急進的な社会主義者・共産主義者との間での激しい論争や抗争によって、社会主義運動には大分裂がもたらされてしまった。たとえば
日本では戦前の
社会民衆党など
無産政党は
第二次世界大戦後、
日本社会党としてまとまり、その中でも穏健な流れをくむ
社会党右派の政治思想となったが、急進的な社会・共産主義者との対立の結果、
社会党左派との左右社会党の分裂を招いた。両派は
1955年いったん統一したが(
55年体制)対立は収まらず、
1960年には右派のかなりの部分が
民社党として独立してしまった。民社党の労使協調の路線が企業擁護の労働組合(
御用組合)の思想として非難されるなどの結果、これに対抗するため強烈な
反共主義を伴うこととなり、民社党や社会改良主義への「
右寄り」「
タカ派」というレッテル貼りの根拠となってしまった。
日本国内では現在も左派のマルクス主義者などから、
社会民主党、
日本共産党や労働組合の
連合などに対して、かつてほどではないが同様に
修正主義や改良主義という非難が用いられがちである。
民主党に対しても同様の批判があるが、民主党は社会党や民社党の出身者もいるものの、割合としては
自由民主党出身者の方が多く
保守政党の色合いが強いため、やや事情は異なる。民主党の保守派、特に
新自由主義者はマルクス主義はもちろんのこと、社会改良主義にも批判的立場を取る者がいるからである。