組閣から半年後の1940年(昭和15年)6月、
フランスが
ドイツ(
ナチス・ドイツ)に降伏すると、独伊への接近を企図し、
近衛文麿を中心とする新体制に期待して倒閣の機会を窺っていた陸軍は、その目的を達すべく、畑俊六陸相を単独辞職させる
[敗戦後の東京裁判においてA級戦犯被告となった畑はこのことを厳しく問われることになる。][畑は当時の参謀総長だった閑院宮載仁親王から陸相を辞任するように迫られ、皇族への忠誠心が厚かった畑はその命令を断ることができなかった。閑院宮の顔を立てたいと考えていた一方で、どうしても内閣総辞職を回避したかった畑は、米内に対して辞表を提出しても受理しないよう内密に話をつけていたが、なぜか米内は辞表を受理した。]米内は後任の陸相を求めたが陸軍が推挙しなかったため、
軍部大臣現役武官制により、総辞職に追い込まれた。